あの日を忘れずに

ダスタリー東京のブログ

2018年03月11日

こんにちは


本日は3・11東日本大震災から7年です。

震災のあった2011年は、私共がこのお仕事を始めさせていただいた

年でもあるので、なおさら忘れる事が出来ません。


そうです あの日は。

千葉県の野田市のお客様宅へ、ベッドクリーニングへ行っていました。

終了のサインを頂いている頃それはやって来ました。

グラッと揺れてだんだん大きくなり、すぐに尋常ではない事がわかり

ましたので、 「 外へ出ましょう!! 」 と、私共と小さなお子様を

抱いた奥様と外へ出ました。


お住まいの集合住宅の駐車場の中央辺りに、しゃがみ込んで、

様子を見ていました。

地面が揺れ動き、太く低い呻くような音が辺りを包み、

電柱が揺れて電線は上下左右に踊っており、向こうの方からは

家の瓦が落ちて割れるような乾いた音がしました。

停めてあった私共の車も 左右に激しく揺さぶられていて

転倒するのではと思いました。


揺れはもう1度やって来ましたので、しばらくはその場にうずくまって

いるほかありませんでした。


そして、揺れがおさまるのを機に お客様のお部屋に戻ると

転倒こそしてはいませんでしたが、家具や冷蔵庫、食器棚等が

お部屋の中央部分に動かされていました。

幸いに、ガラス等が割れて散乱するような事はありませんでした。


お客様はお仕事に出ているご主人様に 携帯で連絡を取って

いましたが、何度かけても通じないので、近くにご実家があるので

そちらへ行ってみるとの事でした。

私共も、帰りの道路状況が心配でしたので、くれぐれもお気を付け

下さいとお話をして、出発しました。


しかしやはり道は大渋滞でした。

高速は閉鎖されており、電車も止まっているとラジオが言っていました。

人々は徒歩を余儀なくされ、歩道にあふれかえっていました。


車は全く動かず、野田から私共の新宿の事務所まで12時間もかかり

着いたのは翌朝の4時でした。


あの日のあの空と、あの光景と恐ろしさは、かつて体験したことが

ありませんでした。


まだまだ被災地の復興は、充分とはいえません。

未だに行方不明の方が、数千人いらっしゃるとの事です。


いったいご家族やご友人や、大切な人を亡くされた方々には

何時、なにをもって、なにが復興と呼べるのでしょうか。


私達はせめて、あの日を忘れずに語り継ぎ、いつか再びやってくる

かも知れない大震災に備えて、あの日の教訓を活かしてゆかなければ

と思います。


そう。


あの日を忘れずに。